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南地区浄化センターはもう目の前が海。震災のときは建物の屋根まで大津波がやってきて、瞬時にして全ての設備が全壊しました。
こちらも北地区浄化センターと同じく、放射能の影響でしばらくの間手つかずのまま放置されました。
そして、1年半後に再建の作業をスタート。実際に工事に入るまでには放射能防護服を着て放射線量の測定をしながら現地調査を開始するなど、調査から工事へとこちらでも目に見えない放射能との戦いの日々が続きました。
新たに建てられた建物の扉は波に打ち勝つ厚さになり、海側の窓は塞がれ、波が侵入できないように作られ、津波への対応をかなり意識した造りになっていました。
2015年春。震災から4年目の春に再び楢葉町を訪れると、町の雰囲気は少しですが変化しているようにも見えました。たとえば前回来たときには閉ざされて3月11日のスポーツ新聞が置かれたままだったコンビニは昼時になると作業員で賑わいを見せていたり、周りに足場を建てて修復しようとしている家屋があったり。元通りになるというのとは少し違う感じですが少なくとも止まっていたものが動き出している予感は感じることができます。
南地区浄化センターではほぼ復旧工事も完了し、モニタには楢葉町の各所に配置されたポンプが正常に動いていることを示す画面が表示されていました。
北地区浄化センターも様々な設備の修復も完了してほとんど新しい施設として再稼働を始めたところです。
「震災のおかげといっては何ですが、復旧工事でいままで見たこと無かった施設や設備の構造など隅々まで見ることができてこれからの運転にきっと役立つことがいろいろあると思います。」
「人が住んでない町なので震災前とは全く違う環境条件で運転しています。マニュアルとかにもないのでみんなで知恵を出し合って。運転のウデが上がりますね。」
なるほど、通常の業務では体験することのできないことをたくさん乗り越えてきたんですね。
「震災を機に町民の皆さんも下水が大事だということに気がついていただけたようです。、下水はもう大丈夫?と聞かれることがありますよ。」
水処理プラントは普段は気にされることもないインフラですが、水道や電気と同じように人が暮らしたり活動したりするのには絶対不可欠なインフラです。
「今は人が住まない町相手に難しい運転を迫られ結構大変な毎日です。でも町に帰ってきたいと思う町民の皆さんのために頑張る。所員みんな同じ気持ちだと思います。」
2014年に来たときも、2015年に来た時も、どんな気持ちで作業していますか?の問いに、帰ってきた所長の言葉は同じでした。